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観た映画を記録するのみ。感想休止中。

ザ・トライブ

2014年/ウクライナ 132min

監督:ミロスラヴ・スラボシュピツキー

出演:ヤナ・ノヴィコヴァ、グリゴリー・フェセンコ、ロザ・バビィほか

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聴覚障害のある若者たちの学校で、若者たちが窃盗、売春、薬物などいろいろ悪いことに手を染めたりパスポート食べたりする映画。BGMも無く、意図的に雑音や生活音が排除されている静かな映画で、言語の会話は一切出てこない、手話のみで展開される映画。公開時から気になっていました。

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”Tribe”という言葉は、訳すとしたら「族」「連中」が近いでしょうか(邦題つけられなくて良かったね)。不良軍団というか組織的なギャング集団に近い学生たちの話。

手話のみの映画?ちゃんと理解できるのだろうか?と不安になると思います。御安心ください、私は全然解りませんでした!

じゃぁ手話が解らなくてもストーリーは判るように構成されてるんだろう、と思うかも知れませんがそういうこともありません。手話で喧嘩したり何かを説明するシーンがワンカットで延々続いたりするのが当たり前で、とにかく『解らない』映画でした。

ただこの映画では”ウクライナの手話”が採用されていて、この映画を観た世界中の人のうち『ウクライナの手話が解らない』人は99.9%位だと想像します、もっと多いかな。そして創り手もそれを分かった上でこの構成にしているに決まっていて、ということは『内容を分かって欲しいと思って創ってない』訳です。

 この映画で印象に残ったのは2点あって、1点めは「カットの長さ」、2点めは「青色」。

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とにかくワンカットが長い。長い長い。誇張じゃなく5分以下のカットは数えるほどしかないと思います。短いテンポの編集に長回しが挟まると緊張感や色気が出るけど、全体的にカットが長いと「ちょっと前の邦画感」というか、音がないのもあってぼんやり眠みが出てくる。そして「延々と不良に付き合わされてる無気力な感じ」を嫌という程味える。

そして2点めは近年の映画で流行ってる(気がする)1色強調。青色がほとんどのカットに出てきます。建物の壁は薄い青とかグリーン。ただ、2カットぐらいモノトーンの強調シーンがありました。

▼妊娠してるか検査しているトイレのシーン

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しかしですね、私この映画をワールドワイドウェブで偉そうに書く資格があんまりないんです。一箇所どうしても見るに耐えないシーンがあって飛ばしています。闇病院?変なおばさんに堕胎手術をしてもらう場面。ここは痛すぎて早送りでも観れなくて(想像できる痛みのシーンが本当に駄目なのです)、チャプター丸ごと飛ばしました。

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で、ちゃんと語る資格ないと自覚したうえで、『解らない映画』だという感想を残しておきたいと思います。

喋らないので人の名前も解らない。窃盗や売春をするようになったきっかけや、そんなにお金が必要になった理由が解らない。寮なのに管理者が居ない理由も解らない。男の子が女の子を好きになった理由も、死んだ子がどうなったのかも、女の子がイタリアに行こうとした理由も、どうして不良のトップたちが女の子のパスポートを守ろうとしたのかも、あのお土産を持ってきたおじさんが誰なのかも、膝にピョンと乗ってたのがどうしてなのかも、全然理由が解らない。そして聴覚障害者」という設定が何故必要だったのかが一番分からない。ちなみに、この解らない感覚は別にモヤモヤして不快なものではない。ただこの感覚が大切だという感じ。映画はその作品の言語ネイティブ/非ネイティブで解釈に差が出る表現方法ですが、この映画は全世界の人がこの感覚を共通の温度で味わえる点に非常なる価値があると感じます。

日本版のWikipediaにはこの映画の項がなくて原文ページを読んだものの『解らない』部分は解らないままだった。調べればインタビューとか考察は出てくるかも知れないけど、なんていうかこのままでいいやという心持ちです。分からなくていいという前提の映像。分からない世界の分からない言語の分からない映像、極東にて三十路、確かに観ました。それだけでいいというか、そういう映画だったと思います。

 

▼痛いのつながり